こんにちは。公認会計士の山本です。
2000年代に入ってから、地震、台風と立て続けに発生するようになったため、神戸の地震が特別に思えなくなってしまった感がありますが、あの地震が発生した当時は、相当の衝撃がありました。
私はあの地震が起きた時、芦屋にある、国道2号線近くにあった銀行の寮にいたのですが、40度近い熱にうなされていたため、
因みに、40度近い熱というのは、その前日までの3連休の間、上司に悪態をついて、へき地の一人事務所に飛ばされてしまった友人のところに行っていたからなのですが、
そいつが、荒れに荒れ、毎晩、朝まで、カラオケで、気がおかしくなったように歌い続け、私の方は、自分は、なぜ、ここにいることになってしまったのだろう、と意識朦朧となりながらも、それに付き合い続け、カラオケが終り、明け方、そいつの家に戻ると、1月の寒さの中、引っ越したばかりだったからか、それとも、そんなところに注意がいかなかったからか、暖房の全く効いていない家で「寒い」と思いながら寝て、と連休中、そんなことを繰り返していたため、
地震の前の日の夜、芦屋の寮に辿り着いて、熱を計ってみると39度あり、そのまま、地震が起きる迄、「頭が熱い」、「体が寒い」等とぼんやり思いながら、意識を失っていた、というのが高熱の理由でした。
で、地震が起きた時に話を戻しますと、
地震がおさまって直ぐ、暗闇の中、同期のYが懐中電灯を照らしながら「山本、大丈夫だった?」と部屋に来てくれ、
それとほぼ同じタイミングで、先輩のIさんが、腰にバスタオルを巻きつけただけのかっこで、「山本君、凄い地震だったね。お風呂のお湯が津波のようだったよ。」等と言いながら自分の部屋の方向にパタパタと通り過ぎて行き、
そして、直ぐに、また、上半身裸のまま、パタパタと戻って来て、「山本君、大変なんだよ。部屋のドアが開かなくなっちゃったんだ。」と暗闇の中、腰にバスタオルを巻きつけただけのかっこで、今度は反対の方向に通り過ぎて行き、
それから間を置かずに、誰が言い出したのか、点呼を取ろう、ということになり、暗闇の中、点呼を取り、
それが済むと、寒いし、暗いし、何もすることがないので、今から考えると、大災害の時にそれで良かったのか、とも思うのですが、もう一度、布団に入り直し、寝てしまいました。
で、暫くして、明るくなった時、同期のYが、また来てくれて、「山本、外が大変なことになってる。」と言うので、外に出てみると、いつもは、寮の玄関を出ると、道を挟んで反対側に一軒家があり、その後ろに6階建てくらいのマンションがあるのですが、一軒家の方が左に傾き、マンションの方が右側に傾いていて、
今、考えると、のんきなものだと思うのですが、私は先ず、前の家に合せて、首を左に傾け、それから、後ろのマンションに合せて、首を右に傾け、「これは何なんだろう?」と暫く考えていました。
で、その後の行動は、そうしておいて良かった、と思っているのですが、一度、部屋に戻り、母に電話を入れ、「大丈夫だったから」と連絡しました。というのは、この時点では電話は普通に通じていたのですが、その後、電話は、いくら掛けても、通じなくなってしまったので。
その後、銀行に出勤すべきかどうか、よく分からないので、取り敢えず、外の様子を見に行こう、と、同期3人で見に行ったのですが、そこから先については、また、次の機会にしたいと思います。
因みに、熱の方は、熱のことを考えている余裕もないまま時間が過ぎていき、午前中の早い段階には、(計っていないので正確なところは分かりませんが)平熱に戻っていました。