こんにちは。公認会計士の山本です。
一昨日、稲刈りの済んだ田んぼを見て、「えっ、もう」と思ったのですが、
OPINION1「中小企業の決算書が正しくないなんてことがあるんですか?」では、日本の中小企業の決算書がどういう構造のもと、どのように作られ、どういった機能を果たし、どのような性質を有しているのか、記述してみましたが、
法律で、GAAP(一般に公正妥当と認められた会計基準)に従って決算書を作成する、という、ほぼ全世界共通の制度を作ってはみたものの、
GAAPに従った決算書を作る必要が実質的になかったため、実際はGAAPではなく、法人税法に従って決算書が作成されている。
OPINIONでも書きましたが、私は実質的な必要がないのであれば、それを作らなくても全く問題ないと思っているのですが、
ただ、問題かなと思うのは、
そういう実状が理解されていない、ということだと思うんですね。そして、誤解や混同に基づいて意見が表明され、判断がなされている。
特に、法律の方がGAAPで作る、と書いてあるので、尚更、ややこしくなっているのだと思うのですが。。。
と、前置きが長くなりましたが、今回、私が書きたいと思っているのは、これと似たようなこと(法律・制度と実態が乖離している状況)が上場企業にもある、ということなんです。
と言っても、「今」と言うよりは、「過去」の話なのですが、今もその影響が強く残っていると感じることがあるので、以下、書いてみます。
日本の上場企業は、毎年、GAAPに従って計算書類(会社法)、有価証券報告書(金融商品取引法)を作成し、どちらも公認会計士が監査し監査意見を出し、公にしています。
会社自身がGAAPに従い会計報告を作成し、公認会計士がそれをチェックする。
誰もが株主になることができ、多くの取引先を有する上場企業ですので、財政状態がこのような形で公にされるのは当然なのですが、
その昔、感覚的には、バブルの前くらいの頃までは、日本の上場企業の「信用」は、この構図からは生み出されていなかった。
と言うのは、上場企業はお互いに株式を持ち合っていたため、結局、その会社の資産が、誰のものでもない、という状況が出現していた。
従って、上場企業にとって、法律により求められている会計報告などというものは、出す側にとっても、受ける側にとっても、言ってみれば、形式に過ぎなかった。
更に、その時代まで、圧倒的に産業界を支配していた銀行、即ち、企業の最大の資金提供者は、
不動産担保はとる、融資した額の何割かは拘束性預金として銀行に置かせる、上場企業であっても、社長の連帯保証を入れさせる、と何重にも保全を図った上、
自らの出向者を何人も会社に送り込み、企業が表向き発表する会計情報よりも、余程、詳しい情報を、もっともっと早い段階で入手していた。
勿論、企業の重要な経営判断は「事前承認」していた。
ということを考えていくと、
当時の上場会社にとっては、対外的に公表する会計報告は「形」に過ぎなかった。勿論、その会計報告の保証である監査報告書についても同じことが言える。
要は、誰のお金で会社が生きているか、ということを考えれば、
当時の状況では、圧倒的に「銀行」だった。
銀行だけが企業の生殺与奪の力を持っていた。
そして、銀行は会計報告以上の情報を自ら得ていたので、対外的な会計報告も、監査報告書も法律上の「形」を満たしていれば、それで十分だった。
中小企業のケースと同様、私は、実態がそれであれば、それで構わないと思っているのですが、
今や時代はすっかり変わり、持ち合いはめっきり減り、企業はお金を借りなくなり、銀行の支配力は低下どころか、殆ど、形をなさなくなり、外人も主要株主として登場している。
なので、法律の設計通りの構図により「信用」が生み出されなければならなくなった。
環境の方が変化し、法律と実態が一致するようになった訳で。
経営者はGAAPに従って、正確な会計報告を作成しなければ、損害賠償責任を負う可能性がある。
会計士も、その監査意見が誤っていた場合、損害賠償責任を負う可能性がある。
そうして「信用」を生み出されなければならなくなった訳ですが、
人間の認識、意識、知識、行動が、この環境の変化に追いついていない、と感じられるケースが、
企業経営者の言動にも、投資家の行動にも、マスコミの報道にも、普通に人と話していても、まだまだ見られる。
バブル以前、滅多に発生していなかった巨大な不正会計事件が、バブル以降、今に至る迄、数年おきに発生している。
バブル直後のものは、バブル期の負の遺産だと思うのですが、
昨今の事例はバブルと関連しないものが殆どである。
とすると何か。
バブル前、良い、悪いは別にして、銀行は、自らの資産を守るために、強烈に企業に関与していた。(企業は統治されていた)
今や、企業の資産は、銀行から調達した資金によるものではなく、企業の出資者に帰属するものが殆どである。
それなのに、出資者が自らの資産の保全のために動いていない、(企業は統治されていない)
ということなのではないかと思う訳で。
大体、不正会計問題が発生すると、やれ経営者が、とか、やれ監査人が、という議論が多い訳ですが、
結局、「預けている側」が動かないことには、この構図って、機能しないんだと思います。
出資者が、自分のモノとして、真剣に関与する。
そして、経営者、監査人が、其々の職責を果たしていない時は、訴えてでも、責任を追及する。
それが先なんじゃないかと思うんですよね。