こんにちは。公認会計士の山本です。
昨日、日経平均が30年6ヶ月ぶりに3万円を超えました。
私は1992年に銀行員として社会人生活をスタートし、それから28年、日経平均が一度も3万円を回復することのない中、社会人を続けてきましたが、昨日、日経平均が30年6ヶ月ぶりに3万円を超えたということを聞いても、全く嬉しさが湧いてくることはなく、むしろ、時間の長さ、失ったものの大きさを改めて感じました。
大きな絵で言えば、その当時、世界の企業の時価総額上位には、日本企業がズラリと並んでいましたが、そこから日本は、しがみつくことにのみ必死になり、やがて駅前商店街のような状況になってしまったように思えますし、
小さな絵で言えば、自分の社会人人生の少なからぬ時間を、バブルの処理に費やしてきたんだな、と。
1993年からの2年間は銀行で、後から見れば、なぜ、そんなものを売ったのか、なぜそんなものを買ったのか、売る方も売る方だし、買う方も買う方だと思えるような、バブルの頃の大量の金融商品の残骸の処理をしていましたし、
2002年に会計士になってからの数年間は、ちょうど、小泉さんの不良債権処理と重なり、銀行が顧客に対する貸付金債権を、二束三文で外資にたたき売り、それを外資が回収業者に回収させるという構図のあちこちに関与していました。
銀行では、バブルの時には、こんな得体の知れない金融商品でも買っていたのかという人たちが、私がやっていた頃には、金融商品というだけで、その人たちの仕事に必要なものですら、怖がって買えなくなっているのを見ましたし、
不良債権処理の時には、そもそもなぜ、そんな状況になったのか、全く検証されることなく、「善良で一生懸命頑張っている人たちを、カネの亡者がカネにものを言わせて踏みにじる」みたいな考えがまかり通っているところも見てきた訳で、
そんなこんなで30年もかかったんだろうな、という気持ちになります。
まあ、ただ、一方で、今の3万円も、事実を見ない、みんながやってるから大丈夫、みたいな感じで増え続けている国の借金で、単に貨幣価値が減価しているだけなのではないか、という懸念も多分にあり、本質はそう変わっていないのではないかと思えます。
という感じで昨日から、竹内まりやの「駅」という曲が、頭の中でずっと流れ続けています。